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RYUKOTSUSHIN

ブームではなく”現象”になった Jamiroquai は UK シーンの救世主になる。

1980年代後半の英国のポップ・ミュージック・シーンについて、今から振り返って何かコメント出来ることがあるとすれば、

それはあの時期(86~90年)が”大いなる準備期間”とでも言いうべきものであったということである。

勿論、あの時代に音楽的に特筆すべき収穫が何もなかったということではなくて、実に多様なスタイルにおける実りが

ポップ・ミュージック・シーンに現われていたからこそ、そのような見方が可能であるということだ。

言い換えれば、シーンは非常に混沌としていたし、音楽的な中心軸のようなものも見当たらず、

だがその混沌の内から優れたアーティストや作品が次々と頭を出すという具合であった。そして90年代。

そんな混雑と活気は収まってしまい、ポップ・ミュージック・シーンは以前と比較して静かになり、

単なる思いつきやちょっととしたアイデアだけで出来ている音の限界がはっきりして、だからこそ何かが始まりつつあるような時代が

やって来た。おそらく、基本になるような考えやきっかけは80年代後半に出揃っただろう。

現在、もっとも必要とされている個性は、そうした基本的なアイデアのみで終わらせずに、それをきちんとひとつの確かなスタイルに

まとめてみせるアーティストだ。新しい時代の幕開けを告げるアーティストだ。そして、ここで紹介するジャミロクワイ (Jamiroquai)

そんな条件を満たす数少ない存在である。彼等に寄せられている期待は大きいし、今のところ、彼等はそれを裏切っていない。

そのうえ、ジャミロクワイははっきりとした新しさを身につけている。これから、僕は何故彼等が今英国で最も注目

されているアーティストであるのか、その理由について出来る限りの材料を挙げてみることにしよう。

「僕は色々なタイプの音楽に影響を受けてきたし、だから自分で曲を書く時もジャズやソウル、ロックやレゲエ、

様々なタイプの音楽がミックスされて出てくるんだよ。」(フロントマン、 JK の発言、以下同様)

さて、ここで僕はジャミロクワイがシーンに飛び出してきた前提となった条件、

ロンドンを中心として80年代後半に巻き起こった所謂"アシッド・ジャズ" シーンについて触れなくてはならないだろう。

"アシッド・ジャズ" は "ニュー・ジャズ" とも呼ばれ、今やロンドンだけのものではなく、東京や NY、

サンフランシスコなど、世界中の都市で活発な動きを見せている音楽的なピックである。

これについては、本誌でも以前特集を組んでいるので、御記憶の方も少なくないだろう。だが、多少の重複も止むを得まい。

"アシッド・ジャズ" ムーヴメントの意味、そしてそこに見られる音楽への態度/姿勢は、90年代のポップ・ミュージック・シーンを

考えていくうえで欠かせないものであるからである。ジャミロクワイをそこから出て来たし、それを無視することが出来ない。

​もっとも、"アシッド・ジャズ" というこの造語自体にはそれほど深い意味はない。この言葉は、80年代後半に、英国のクラブ・シーン

スター的な存在である DJ の1人、ジャイルス・ピータースンが思いついたものだという。その理由は他愛のないものだ。

先程も書いたように、80年代後半の多様な英国のポップ・ミュージック・シーンにおいて、短期間であるが、

社会現象にまでなった"アシッド・ジャズ" ムーヴメントがあった。この明白なドラッグ・カルチャーを横目に、ジャイルスは、

60~70年代のソウル・ジャズ ~ ファンク・ジャズなどを戯れに "アシッド・ジャズ" と名付けたのである。

しかし、それは仲間内の遊びで終わらなかった。何枚なら、88年には、ジャイルスとエディ・ピラー

という2人の人間が中心となって、同じ名前でインディペンデント・レーベルをスタートさせたからである。

そして、そこから次々とジャズの豊かな音楽的遺産を利用して、

何か自分達なりの新しい表現を摑もうとするアーティストが登場してきたのである。もともと、ロンドンは1960年代の

"モッズ" の時代より、長くジャズを愛してそこから自分達の音楽を創り出してきた長い伝統がある街である。

そのうち、ジャイルス自身はメジャー資本の同じようなコンセプトのレーベル、 "トーキン・ラウド" 設立の為にその場を離れるが、

"アシッド・ジャズ" は機能し続けているし(今年で設立5年周年)、登場した優れた資質を持ったアーティストの名前はいくつも

数えられる。ガリアーノ、ヤング・ディサイプルズ、ブラン・ニュー・へヴィーズ、インコグニート、サンダルズ、マザーアース、

ハンブル・ソウル・・・・・・そしてこの2つのレーベル以外からも、ジャズの伝統とその業績に敬意を表し、

90年代の音楽を生み出そうとするレコード会社/アーティストがいくつも現われてきている。まだ、注意するべきは、

このムーヴメントが、人類的にミックスされたものである点であり、そこには黒人/白人の単純な区分は無い。

音楽的にはストリート・ブラック・ミュージックに多くを負っているが、人類においての優位主義はないといっていい。

ところで、一口にジャズといっても、現在までにここでは要約出来ないほどのスタイルが生み出されてきている。

そして、その多様な成果を利用して90年代の新しい音楽を生み出そうとするならば、ジャズ以外の優れた

ストリート・ミュージックとのフュージョンは自然な成り行きであるだろう。ハウス、ヒップ・ホップ、

ダンスホール、レゲエ・・・・・90年代の ”新しいジャズ” は、こうした現在進行係の音楽スタイルを利用する。

(だからこそ、”アシッド・ジャズ” がジャズであるかどうかは意見の分かれるところである)

又、こうした折衷主義的な音楽へのアプロッチの場合最も問題になあるのは、ある程度の技術が無ければ、

結局出上がってくるのは似たりよったりのものになってしまうということだ。

そして、90年代はじめには "アシッド・ジャズ" というコンセプト ――――― 既成の音楽を折衷主義的に捉え直す ―――――

新鮮味が無くなっていた。後は、時代を前進させるような強い才を持ったアーティストが望まれていたわけで、

ジャミロクワイは出るべくして出てきた存在だろう。彼等の中心人物は、ヴォーカルにしてフロント・マン、全ての歌詞を

書いている JK で、ともかく彼の素晴らしい歌声が魅力的である。バックのサウンド・プロダクションは70年代のニュー・ソウルの感触に似たもので、スティーヴィ・ワンダー、ギル・スコット・ヘロン、ダニー・ハザヴェイといったアーティストを思い出させもする。

そして、非常に興味深いのは、ジャミロクワイのレパートリーのほとんどが政治/社会問題を扱ったストレートなメッセージ・ソング

である点だ。彼等は若いバンドによくある、使い古されたセックスを売り物にして人気を得たバンドではないのである。

彼等の存在を最初に知らしめたスマッシュ・ヒート。 "When You Gonna Learn(いつになったら気づくんだい)" は、

なんとこんな歌詞で始まるんだ。――――― 今日のニュースを聞いたかい/世間の人々はゲームを始めようとしている/

彼等は近代社会の犠牲者さ/(中略)とても大変なことだけど/そんなことはやめなきゃいけないんだ/

みんなの目を覚まさせないといけない・・・・・

もしくは、彼等がソニーから発表したファースト・アルバムの中の中心的な曲、"Revolution 1993(革命1993)" でもいい。

――――― より高いところを目指すんだ/権力に立ち向かうべきだと今に気づくよ/輝かしい日が待ってるんだ/

(中略)革命こそが世の中を変える/唯一の手段なのさ/僕は権力に立ち向かうんだ・・・・・

「今がどんな状況なのか判っていても金のために自然を破壊する奴もいる。僕は別に政治家でもないし、

政治家気取りのわけでもない。ただ、この最悪の状況をみんなに知らせたいと思っているだけなんだ。

僕は街を歩いている普通の人間として物をい言っているだけさ」。

ちなみにアルバム・タイトルは通訳すれば ”地球は緊急事態” というものだ。

ジャミロクワイは当然のこと、エコロジカルな意識を強く表明していて、この地球という星が現在迎えている最悪の状況に

ついてもシンプルだが正直、そしてだからこそ信じられる意見を打ち出している。

こうした彼等の問題意識について、勿論批判がまったく無いわけではない。彼等のメッセージは、

格別新しいわけでもないし、ひどく性急で、時には幼く響くこともあるかもしれない。

だが、実際、歌によって伝えられるメッセージとは結局のところそう複雑なものではない筈なのである。

音楽を使って政治理論が伝えられるだろうか?いや、そんなことは出来無いし、そんな必要もない。

ジャミロクワイのまっすぐな、誰にでも理解できるメッセージは、だからこそ僕は支持したいし、なによりも JK の

ヴォーカルのパワーがその雄弁な証明であるように思える。ちなみに、この夏のヴィジュアルにも見られるように、

JK はそのメッセージと共に、ネイティヴ・アメリカンであるイロクァイ族のライフ・スタイルにも憧れを抱いていて、

JK の被っているこの奇妙な帽子は、ネイティブ・アメリカンのバンド・メイドであるという。

​ちなみに、このジャミロクワイというおかしな名前も造語であり、ジャム・セッションの "jam" と、

イロクァイ (iroquai) 族の2つの単語をつなぎ合わせたものだ。ネイティブ・アメリカンの多くは、

自然/大地の大いなる流れに逆らわず生きていたという。彼等はそこに共感するらしい。

さて、ロンドンでのジャミロクワイに対する反応はどうなのかといえば、それが物凄いのである。

まず、彼等がレコード会社と交した契約が凄い。なんとアルバム8枚契約という異例の、前代未聞のものであり、

レコード会社が彼等に寄せている期待が分かるというものだ。どんなスーパースターでも、

こんな契約を交したなんて僕は聞いたことがない。そして、去年の初夏、彼等はヨーロッパ・ツアーを開始した。

僕はそのロンドン公演を観る機会を得たけれど、ファースト・アルバム発売以前であるのに、

会場となったブリクストン・アカデミーは超満員。客層はアート・スクール系とでもいおうか、

今やロンドンでも主流となった感のあるヒッピー・リヴァイバル系のファションの人間が多かった。

​そして、先行発売つれていた2~3曲、チャート・インした "Blow Your Mind(ブロウ・ユア・マインド)" などはともかく、

観客の多くが歌詞を覚えていて、一緒に歌っていたのにも驚いた。ジャミロクワイのメッセージに、彼らは素直に共感しているし、

それを表現出来るのだ。その曲の内容について考えてみると、これは少し前なら考えられないことである。

新しい時代の幕開けといってもいいのではないかと僕も会場で考えたものだ。

その後リリースされたファスト・アルバムはなんと初登場1位というチャート・アクションを起こし、その後3週間に渡って

その座は守られたという。ジャミロクワイは、93年代の英国に現れた最大の新人であることはこのことからも判るだろう。

彼の出現はちょっとした事件なのだ。そう、そうしてジャミロクワイは10月には来日もする予定である。

既にいくつもの公演はソールド・アウトであるか、追加公演も行われるらしいので、

是非彼等のパワーを実際にその目でた確かめてほしい。

彼らは混沌としたシーンに幕を閉じ、新しい時代の始まりを告げたアーティストであり、

それはこんなに早く観ることが出来るなは、幸運でもあるし、エキサイティングでもあると思うから。

「僕は地球環境について歌って金を得ているとか、エコロジーを歌ってポップ・スターになったとかいう人もいる。

だけど、問題は今僕が何を持っているかじゃなくて、これから何をするか、である筈だよ。」

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